​国語教育の目的と方法(総論)

文芸研の目指すもの・教材論・授業論​

詳細は「国語教育事典」(明治図書)

教育の目的
 文芸研では、教育の目的を「自己、および自己をとりまく状況を、よりよい方向に変革しようとする主体を育てること」としています。

国語科で育てる力
 「ちいちゃんのかげおくり」を例にして述べてみます。
 各場面を<類比>して同じところに目をつけてみますと、どの場面でも、「家族いっしょにいたい」というちいちゃんの気持ちがあります。人間の本質が表現されているのです。(ほかに、戦争がちいちゃんからいろんなものを奪っていく、ということも類比されています。)
 こんどは、最後の現在の場面とその他の場面とを、<対比>して違いに目をつけてみますと、平和な今の世界のすばらしさ、裏返して言うと、過去の戦争の非人間性が分かります。
 次に、「もし、ちいちゃんが生きていたら」と<仮定>して考えてみます。すると、あの公園で遊んでいる子と、ちいちゃんの子どもとが重なってきます。今頃は母親となって幸せに暮らしていたに違いないと考えると、戦争がちいちゃんの未来までも奪っているということです。<条件・仮定>という見方をすることで、戦争の非人間性がさらに強く感じられます。
 <類比><対比><条件・仮定>というのを認識の方法(わかり方、ものの見方・考え方)といいます。(小学校段階では9通りぐらい、中・高校まで含めても10数通り程度ですが、詳しくは<ものの見方・考え方>の項を参照してください。)
 上の例では、それらの方法を使うことで、人間の本質とか、戦争の本質を認識できたわけです。
 このように、文芸研では、ものごとの本質とか法則、あるいは真理・真実・価値・意味等をわかる力、認識する力を育てることを目指しています。
 ものごとというのは、ことば・表現・人間・人間をとりまくものごとなど、この世の中の全てのものごとです。
 そのものごと(認識の対象)に対して認識方法(わかり方、ものの見方・考え方)を用いてわかったことを認識の内容といいます。「人間とは・・・・」「戦争とは・・・・」ということです。
 上の例でも分かるように、認識の方法と認識の内容とは表裏一体のものです。
 それぞれの具体は、各学年の教材の見方の項を参照してください。

文芸研の教材論
 文芸作品で言うと、芸術性・思想性・教育性の三つの観点を満足させる作品は、いい教材になり得ます。
 芸術性というのは、「美の教育」の問題です。作品のおもしろさ、味わい、趣きを体験させると同時に、その体験がどこからくるのかを学ばせる、というのが美の教育です。
 思想性というのは、ものごとの本質・法則・真理・真実・価値・意味を内包している作品ということです。ここで、<ものごと>というのは、ことば・表現・人間・人間をとりまくものごと、つまりは、この世の中のすべてのものごとです。
 教育性というのは、言語・文法・表現の観点から、その学年にふさわしい要素があるかどうかということだけでなく、その学年あるいは学級につけさせたい認識方法(ものの見方・考え方=わかり方)を育てるのにふさわしいかどうかという面も大切です。

文芸研の授業論(教授=学習過程
 大きく、<とおしよみ>と<まとめよみ>の二段階に分けています。そして、その前後に、<だんどり(導入)>と<まとめ(整理)>というのがあります。
 

《だんどり》
《とおしよみ》
  <ひとりよみ>
  <よみきかせ>
  <たしかめよみ>
《まとめよみ》
《まとめ》

(1)<とおしよみ>
 細かく分けると、<ひとりよみ><よみきかせ><たしかめよみ>というのがあります。「てにをは」を押さえてきめ細かく読み進める中で、「豊かな読み」をさせる段階です。豊かな読みというのは、人物や世界のイメージをつくり、同時に切実な文芸体験をすることです。
 切実な文芸体験というのは、人物の気持ちになりきって、人物の身になって、人物に同化して読む(<同化体験>)と同時に、第三者として人物をつきはなして見る、あるいは感想をもつ、人物や世界を異化して読む(<異化体験>)こと、つまり同化と異化の体験をないまぜにした体験(<共体験>)をさせることです。
(2)<まとめよみ>
 「深い読み」をさせる段階です。人物のとった行動の意味、作品が問うている意味、人間の本質、・・・など作品の主題、思想を次元を高めてとらえなおすことです。