西郷理論を学んで
  神里常太郎

 寄る辺となる西郷理論は、人間とは何か、世界とは何か、目から鱗が落ちるようにその真実を見せてくれます。理論から繰り出される明晰な分析、豊かで深い解釈は聞く者、読む者を納得させ、感動させずにはおきません。

(「米寿記念集」より)大阪 神里常太郎

国語と科学(改題)
木谷圭介

  西郷先生の話を六時間近くでも聞き入ってしまうのは、国語の授業なのに、科学的な事をたくさん聞けるからです。国語と科学は何の関係もないと思っていましたが、そんなことはないと思いました。

  (「米寿記念集」より)大阪 木谷圭介

文芸研と私
  中川路守

 (1994年)近くのホテルで学習会があるからと誘われて参加しましたが、実践の中味よりも文芸用語の難解さに思考停止してしまいました。その後、川薩地区に異動し、サークルに誘われたところ、いきなり県大会のレポーターになってほしいと有無を言わさず押しつけられ文芸用語に四苦八苦することになりました。それからは、まるで坂道を転がるようにどんどん文芸の道に入り込み、青年学校まで参加することになりました。

(「米寿記念集」より)鹿児島 中川路守

類比・対比からの出発
太田芳治

 《認識の方法》の中の「類比・対比」はすべてのことに目を開かせる第一歩でした。西郷先生を車で邑久駅に送っていく途中に言われた「ものごとのくり返し(類比)を見ていれば、その本質がわかる。くり返される表現(言葉、行動)を見ていれば、その人の本質がわかる。」という言葉は、私の「ものの見方・考え方」の基本となりました。

(「米寿記念集」より)岡山 太田芳治

たくさんの縁をいただいて
  曽根成子

 すうっとわかる子もいれば、納得するまで時間がかかるけれども本物を求めたいと思っている子もいる、と多様なはずです。それをも包み込む西郷文芸学の懐の深さと理論の深さ、強さにますます、学んでいきたいという思いを強くしています。西郷文芸学は、人間学であり、文芸の認識論は、教育的認識論なのだということを若い方々にも伝えていきたい。

  (「米寿記念集」より)千葉 曽根成子

まだまだだなあ
若山ひろみ

 教師の仕事を始めてまず困ったのが、「国語の授業どうしよう。」ということでした。「どうして、毎日国語の授業があるんですか。」と、当時勤務校の教頭をしていた山形仁之先生に半分冗談のつもりで話したところ、「何言ってるんですか。勉強に出かけてきなさいこと紹介されたのが、私と文芸研との出会いでした。

 (「米寿記念集」より)青森 若山ひろみ

西郷先生との出会いに感謝して
  山本淳子

 

( 目の前にいる子ども達の姿から)やはり、文芸研で言われているとおり、「人間の行為、生きること、人問にとっての〈ものごと〉の価値・意味を問う教育」そして、「〈人間について語り合う場〉を子どもたちの中に築くこと」の重要性を感じずにはおられません。

  (「米寿記念集」より)大阪 山本 淳子

推敲指導の西郷先生
  古橋和夫

 西郷竹彦先生とは、一九八四年に『関係認識・変革の教育』(明治図書 一九六六)を読んだことが最初の出会いとなりました。以来、先生から教えていただいたことは数え切れないほどです。読者の体験と結びく視点論、「やまなし」「祖母」「大阿蘇」「二つのメルヘン」の作品分析、虚構論や比喩についての独自な考察、また最近では、自在に相変移する入子型重層構造の理論など、どこを取り上げて論じたらよいか迷うほどです。

  (「米寿記念集」より)千葉 古橋和夫

文芸との出会い
北島やすの

 

 「文芸を学ぶ」ということは、ただ国語の学習の方法を学ぶことだけでなく生き方につながっていると感じることができました。 

  (「米寿記念集」より)大阪 北島やすの


文芸研との出会い-見えない網
  前田康子

 (第16回全国集会)ある年の夏、大阪に西郷先生が授業をされる研究会があると聞き、申し込みもせずに同僚と出かけて行きました。会場は溢れんばかりの人で、人混みの間から背伸びをしながら西郷先生の姿を遠くから見ていたのを今でも覚えています。

(「米寿記念集」より)兵庫 前田康子