これしかない!
  中野恭子

 どこに行っでも同じかなと思いかけていたとき、文芸研大阪大会で、日記指導の分科会に参加し、「これや!これしかないi!」というほど感激しました。レポートに書がれている子どもの気持ちの変化を読んで、日記の力やそれに取り組む教師の思いに、ただただすばらしさを感じ、惹きつけられました。

  (「米寿記念集」より)三重 中野恭子

わたしをささえてくれたもの
白川詔子

 今思えば、私の教師生活は学級崩壊から始まったようなものでした。一年間の講師経験を経てはいたものの、授業の仕方はもちろん、子どもとの接し方すらうまく出来なかった私は、当然のように子どもだちと溝を深めてしまいました。

 これではいけない、何かを学んで力をつけなければ・・・。しかし、あせればあせるほど空回りし、何をどうやればいいのか悩んでいました。そして運命のあの日、近くの小学校に有名な先生がいらして授業を公開してくださるという噂を耳にしたのです。それが私と西郷文芸学との出会いでした。

  (「米寿記念集」より)青森 白川詔子

生きるコアとしておく深くある文芸学
  加藤洋子

 自分のやりたいと想う仕事に常に恵まれてきたのも、西郷文芸学のものの見方、考え方が私の歩む過程でいつもコアとしてあったからに他ならないと思っています。

  (「米寿記念集」より)千葉 加藤洋子

文芸研と私
丸子明人

 青年学校への勧誘を受け、若くはありませんでしたが、思い切って飛び込んでみることにしたのです。八期生、一九九四年のことでした。

 そこで初めて西郷先生から直接学ぶことができたのです。それまでは、全国大会で遠くから眺めていたり、著作を通して間接的に触れたりするだけでした。懇親会では、西郷先生の隣に座ったこともあり、感激しました。 青年学校で生徒になって一生懸命考え、十人近くのグループで話し合ったこと、解釈の相対性・虚構・フアンタジー等の文芸理論、認識論を使っての授業、すべてが新鮮でした。授業が面白くなりました。子ども達に伝えたいものも明確になりました。

「人間とは」「世界とは」を伝えたいと願いました。

(「米寿記念集」より) 北海道 丸子明人

文芸の授業-西郷先生との出会い
  緒方美紀

  一九八八年一一月二一日、「とびこめ」の授業、これが先生との衝撃的な出会いでした。

(中略)この授業をきっかけに、お二人(中園先生、長尾先生)から「青年学校」に誘われました。「私たちはだいぶ年パッテン、気持ちは青年。」とおっしゃったかどうか定かではありませんが、とにかく一回ついて行こうと思い立って一緒に行きました。それが、文芸研との関わりの始まりでした。

(「米寿記念集」より)熊本 緒方美紀