視点・形象・構造

○形象,筋,形象の相関性・全一性
 「形象」というのは,えがかれたものやことのことです。
 文芸の形象には,「人物形象」と「自然形象(事物形象)」の二つがあります。
 ある場面の中のさまざまな形象は,一つ一つにしっかりと絡み合っています。そのことを「形象の相関性」といいます。えがかれた<もの・こと>の<からみあい>です。<もの・こと>のひびきあい・てらしあい・いりくみあい・ささえあい・つながりあい・はじきあい・せりあい・せめぎあい・あらがいあい・・・・というさまざまな関係のことです。
 このように形象と形象がが複雑にからみあいながら,作品全体としては,それぞれの形象とその関係が変化・発展していき,全一体的な世界(宇宙)をつくっていきます。これを「形象の全一性」といいます。

○筋
 西郷会長が、「物語の筋というのは、一般的には事件の筋のことを言うが、そうではなくて、文芸作品の筋というのは、形象相関の展開の筋(イメージと意味の筋)だ」ということを随所で述べられています。たとえば全集14巻p.482で、ツルゲーネフの「すずめ」を引き合いにしながら、

 文芸作品の筋というのは、形象相関の展開の筋です。つまり、さまざまな形象がたがいにからみあい、ひびきあい、てらしあい、あらがいあって、展開していく過程なのです。(中略)  形象(イメージ)と意味という両者は、文芸作品の筋において、ある密接な相関関係を持っています。作者は形象によって意味づけをおこない、意味によって形象を裏打ちします。形象をゆたかにすることによって、一層意味のふかまりをつくりだし、意味をふかめることによって、ますます形象をゆたかなものとするのです。

と述べられています。

○視点,内の目,外の目
 視点とは,だれの目から,どちら側から描いてあるのかということです。
 対象(人物やものごと)を外側から見て,傍観者的に語っている場合,《外の目》で語るといいます。
 また,話者が,ある人物(視点人物)の目と心になって,その人物にかさなったり,寄り添ったりして語っている場合,《内の目》で語るといいます。
 自分の気持ちは分かるけど相手の気持ちは分かりません。それと同じように,文芸学の理論として,視点人物の気持ちは分かりますが,対象人物の気持ちは(想像はできても)原則として分かりません。
 また逆に,対象人物の様子は分かりますが,視点人物の様子はよくは分かりません。それはちょうど,相手の様子はよく分かるけど,自分の様子は,鏡を通さない限りよく分からないのと同じことです。鏡を通すということ自体,もうすでに直接的ではないのです。

○視角
 <外の目>が,ある人物の<内の目>に重なっているとき,作者はその人物の視角から描いていると言います。例えば「注文の多い料理店」では,作者は語り手の視点から山猫と二人の紳士を異化しながら,二人の紳士の視点(<内の目>)によりそい,かさなりながら描いています。

○文芸体験,同化体験,異化体験,共体験
 読者からすると《内の目》は,視点人物の身になって,心になって,気持ちになって読むので,視点人物になりきる《同化体験》を引き起こします。
 一方,《外の目》は,人物たちを外側からながめる,いわば第三者的に目撃者としてみる《異化体験》(《目撃者体験》ともいいます)を引き起こします。
 文芸の体験は,これら同化と異化がないまぜになった体験です。これを《共体験》と言います。《共体験》をすることで,豊かな文芸体験が可能になります。