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虚構・美・真実

○虚構の世界
 一般に虚構は,事実の反対概念として,即ち非現実の世界として捉えられています。しかし西郷文芸学では,<虚構の世界>を<現実を踏まえ,現実を超える世界>と定義しています。
 例えば「かさこじぞう」(岩崎京子)では,道端の地蔵ということでは現実を踏まえています。その石の地蔵さんが,おわりに<じょいやさ>と言いながら,餅米などを運んでくる,というのは非現実ですが,しかし読者は違和感はありません。リアリティーがあります。じいさまが人に接するようにしてきているので地蔵さんが人物化してきていて,読者も納得できるわけです。そして読者は,そこに人間のやさしさの本質を発見できるわけです。
 現実を踏まえているという点では現実(日常)であるわけですが,現実を超えているという点では非現実(非日常)でもあるわけです。
 すべての文芸作品は、虚構の世界です。一般には「つくりばなし」のことを虚構といわれますが、そうではなく、事実に基づくものであれ、いわゆる「つくりばなし」であれ、すべて虚構です。虚構とは、意味づけられた経験、意味づけられた事実、意味づけられた世界ということです。
 全集18巻100頁に「文芸というものは言葉を換えて言えば,虚構の世界である。(中略)ですから,日常的,常識的な意味をこえて,非日常的,あるいは反常識的な深い思想的意味が見出される。発見・創造ということが引き起こされるのです。」とあります。

○西郷文芸学における「美」
 全集6巻p63に、「美」とは「異質な矛盾するものを止揚統合する弁証法的構造を体験・認識・表現・想像すること」とあります。つまり「異質なもの、矛盾するもの、それが一つにとけ合っている」ところに美がある、ということが書かれています。同じページに「おもしろさ」「味わい」とも書かれています。また、「美」は、読者が発見するものです。
 いろいろな講座の中で「文芸に限ったことではなくて,芸術における美だ,と言ってもいい。」ということを西郷先生が言われました。大原美術館での理論研修会でそのことを実感しました。また、いい曲だなあと感じた曲は、必ず矛盾した、或いは異質なメロディーなりテンポなりがあって、それが異質な感じでなく、一つにとけ合っています。(例えば「ボレロ」しかり)

○ユーモア  

 全集8巻の「四 ユーモアの世界」にいくつかの作品を通して詳しく書かれていますが、作中人物と読者の常識との間にずれがある時に、読者はユーモアを感じるのです。人物は決して笑わせようとしているのではなく、大まじめに一生懸命やっているけど、その言動が読者の常識とずれているとき、読者はくすっと笑いたくなります。それをユーモアといいます。滑稽とは違います。
ユーモアは、美(おもしろさ・味わい)のひとつです。

○ファンタジー
 一般的にはファンタジーというと,非現実の世界,というような捉え方をしていますが,西郷文芸学では,<現実と非現実の淡いに成り立つ世界>という捉え方をしています。
 ファンタジーは,美(おもしろさ・味わい)のひとつです。現実(日常)と非現実(非日常)という異質なものが一つにとけあった世界で,現実と思えば現実のようでもあるし,非現実と思えばそうともとれるような世界です。

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